「良い」というのは、ふたつの意味があることに最近気付きました。
ひとつは、「理想的である」という意味。
もう一つは「お得である」という意味です。
このふたつは、時として真逆です。
なのに同じように用いられます。
たとえば、「今度のヒロインは主人公のことが好きなんだよ」と言われて「おっ、いいね」と答えたら
それは「売れそうなシチュエーションだから」なのか、「成長のしがいがある」のかのどちらなのか分かりません。
「ポケモンのような作品を作りたい」なら、「ポケモンのように可愛いキャラクターをいっぱい出して売りたい」なのか「頭脳戦でアハ体験を得るようなゲームを作りたい」なのか分かりません。
この「良い」の価値観のズレは、人によって違い、それは死ぬまで変わらないと思います。
2018年6月11日月曜日
2018年6月9日土曜日
これからのインターネットのあり方
私は常々、"考えてることが全部相手に伝わったら、争いなんてなくなるだろうな"って思ってる。
例えば「関西人なんて嫌いだ」とだけ言ったら、関西人は怒る。
けれども、たまたまその人が何人かの関西人にいじめられ、それによって偏った偏見ができてしまった場合、責められるのは「いじめられた人」ではなく、いじめたその関西人たちだ。
だから我々は、「この人はかわいそうな人なんだ」と思うことができる。
基本、争いのキッカケって、この「誤解」と「偏見」の連鎖、だと思う。
一部の運のない人が、そうやって、争いを生むのだ。
だから。
もしインターネットで、人が全てを「つぶやく」ことができたなら。
その人の「人となり」を、「全て」伝えることができるなら。
それなら、インターネットリテラシーは、別の意味で、必要ないんじゃないかって思う。
もちろん、そうできない場合、人は言葉を刃として使ってしまうけれども…。
やはり、心に規制は、するべきではない。
人は、許していくべきなんだ。
例えば「関西人なんて嫌いだ」とだけ言ったら、関西人は怒る。
けれども、たまたまその人が何人かの関西人にいじめられ、それによって偏った偏見ができてしまった場合、責められるのは「いじめられた人」ではなく、いじめたその関西人たちだ。
だから我々は、「この人はかわいそうな人なんだ」と思うことができる。
基本、争いのキッカケって、この「誤解」と「偏見」の連鎖、だと思う。
一部の運のない人が、そうやって、争いを生むのだ。
だから。
もしインターネットで、人が全てを「つぶやく」ことができたなら。
その人の「人となり」を、「全て」伝えることができるなら。
それなら、インターネットリテラシーは、別の意味で、必要ないんじゃないかって思う。
もちろん、そうできない場合、人は言葉を刃として使ってしまうけれども…。
やはり、心に規制は、するべきではない。
人は、許していくべきなんだ。
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できないなら、やらなくていいと思う そして、できないなりにやって、 同じレベルの人と過ごせばいいと思う