2018年6月9日土曜日

これからのインターネットのあり方

 私は常々、"考えてることが全部相手に伝わったら、争いなんてなくなるだろうな"って思ってる。
 例えば「関西人なんて嫌いだ」とだけ言ったら、関西人は怒る。
 けれども、たまたまその人が何人かの関西人にいじめられ、それによって偏った偏見ができてしまった場合、責められるのは「いじめられた人」ではなく、いじめたその関西人たちだ。
 だから我々は、「この人はかわいそうな人なんだ」と思うことができる。

 基本、争いのキッカケって、この「誤解」と「偏見」の連鎖、だと思う。
 一部の運のない人が、そうやって、争いを生むのだ。

 だから。
 もしインターネットで、人が全てを「つぶやく」ことができたなら。
 その人の「人となり」を、「全て」伝えることができるなら。
 それなら、インターネットリテラシーは、別の意味で、必要ないんじゃないかって思う。
 もちろん、そうできない場合、人は言葉を刃として使ってしまうけれども…。

 やはり、心に規制は、するべきではない。
 人は、許していくべきなんだ。

できないなら、やらなくていいと思う そして、できないなりにやって、 同じレベルの人と過ごせばいいと思う